接骨院勤務日報【#50~#53】
【前回のあらすじ】 珍しく早い時間に出勤してきた院長に誘われ、喫茶店に向かった〈僕〉。そこで、院長から聞かされたのは「田島さんが辞めた」という話。冗談だと笑ってみたが、院長の表情から事実だと理解した〈僕〉は、田島さんが辞める理由を聞くことになった。
【50】あの日にあった出来事
それは、僕が初めて聞く会社の内側の話だった。
「各院にはデータ分析のExcelファイルがある。本社が作成した全院統一のもので、それぞれの院で打ち込んで会議の時に提出するんだ。」
「それには会社や院の今後の計画、スタッフの個人情報や評価なども記載されている。実は、それを田島さんに見せたことがあってね。院長になればこういうこともしないといけない、だから院の分析を自分なりにやってみなさい、と指導していたんだ。」
「もちろん1回見て理解できるものでもないし、何度も一緒に分析をしていたんだけど、一回だけ、どうしても一緒にできないときがあった。田島さんのことは信用してたから、データのコピーを渡したんだ。一人でも分析ができるように。」
それが他の人間に渡ってしまった。
「まだ君を参加させたことはないけど、うちの提携会社と勉強会や会議を開いているのは知ってるよね?田島さんには何度か参加してもらっていて、この間の会議も参加してた。
その会議が終わって皆が帰った後、見覚えのないUSBが落ちているのを向こうの会社のスタッフが見つけたらしい。
念のためUSBの中身を確認したら、うちの院のデータが入っていて、その会社の社長が気を利かして、うちの社長に連絡をくれたみたいでね。個人情報もあったから注意しないといけないよ、と注意をうけたみたいだ。」
「USBもすぐに送り返してくれて、その中に田島さんの個人的な所有ファイルがあったから、土曜日の晩に社長が直接田島さんに確認したそうだ。どんな話をしたか俺にも詳しいことは分からない。でも、田島さんは自分の管理が悪かった、すべて自分の責任だと言ったそうで、本日付で退職になったみたいだ。」
土曜日。勉強会があった日だ。
社長と田島さんと、食事をした日。
あの夜、田島さんが珍しく2次会もせず帰ったのは―――
「だけど、そのきっかけを作ってしまったのは間違いなく、院長である自分なんだ。僕自身も田島さんと連絡を取ってはいけないから確かめようがないけど、あの時に自分がデータをコピーしなければと思うと本当に悔やまれる。」
「でも、それで辞めさせるっていう判断は厳しくないですか?田島さんはわざと落としたんじゃないんでしょう?それに、そのデータが他所に渡って何の問題があるんですか?あまりにもひどいと思う。」
焦るように言う僕に、院長は
「俺もさんざん社長に訴えたよ。でも、自分も社長に昨日いろいろと話をしてもらったんだ。田島さんの詳細は聞かせてもらえなかったけど、なぜそういう結論に至ったのかは聞いた。
退職は、田島さんの方から言い出したらしい。社長も、さすがにそこまでは考えてなかったみたいで、もし辞めるにしても勉強会も落ち着いて後任が見つけた後でも良いんじゃないか、って引き止めたらしいけど、結局辞めることになったんだって。」
僕は何か言葉を返そうとしたが、それが声になることは無かった。
【51】「個人情報」というもの
院長は、落ち着いた様子のまま、こう続けた。
「社長は、会社としての個人情報の取り扱いと機密事項の漏洩リスクについて、かなり時間をかけて教えてくれた。
『あの中には、今後やっていく勉強会の資料もあった。ライバル会社と差をつけるために、時間をかけて努力して作成した情報も詰まっている。
もし、ライバル会社に漏れて、スタッフの努力が水の泡になったらどうするんだ。
故意でも、そうでなくとも、たとえ懇意にしている会社であっても、情報漏洩はだめだ。
お前も田島さんも、会社の情報やスタッフ、患者さまの個人情報を持ち歩くときには、絶対に見られてはいけないもの、絶対に無くしてはいけないものとして、何よりも慎重に扱わなくてはならなかった。
プライベートで使うUSBに他のデータと一緒に入れたりするべきではなかったし、最低でもパスワードを設定するなりして、他の人が簡単に開けないようにするべきだった。
スタッフに軽い気持ちでデータを渡してしたことも問題だが、渡してしまったのなら、責任をもって回収しなければならない。
そんなことを少しでも考えたか?』
そう指導されたよ。」
個人情報というものを、僕はそこまで重たく捉えたことは今までなかった。
取扱い一つで、ここまで人の人生に大きく関わるものだと想像もしたことが無かった。
社長は最後に、
『お前たち院長は、会社の看板を背負って仕事をしているということを自覚しているか?
通りすがりにすれ違う人のほとんどは、面識がなく知らない人かもしれない。でも、もしかしたら通勤途中で、休日の街中で、患者さまや取引先の人とばったり会う、見かけられる、そういうことはあるかもしれないんだ。
そんな時、たとえそれが休日であっても、うちの接骨院の院長だ、というレッテルを相手は剥がしてくれないんだ。
本当にその自覚があったのなら、一つ一つ判断にもっと細心の注意を払えたんじゃないのか?』
と、院長に行ったそうだ。
院長は、その通りだなと痛感したよと、もう一度自分に言い聞かせるように僕に話した。
「俺も今月末で異動になったよ。」
「えっ?」
「だから、来月から岩田が院長になる。副院長はしばらく不在で、お前は頑張りしだいで次の候補になれると思う。俺が何か言う前に社長がそう言ってた。」
「院長どこに行くんですか?」
「まだ決まってないよ。でも、残り僅かだけど今の院で出来ることをやるつもりだから協力してほしい。もちろん岩田にもまだ言ってないから、岩田には黙っといて。タイミング見て言うから。
別に会社を辞めるつもりはないから、いつでも連絡してこいよ。」
岩田さんは、柔整師の免許を取得後、うちの会社に入社した人だ。その後、ダブルライセンスのために専門学校に通いながら働いていて、ちょうど鍼灸の免許を取得したタイミングで異動してきた。
まだコミュニケーションをしっかり取れていないし、どういう人かもよく分からない。
その人が僕たちの院長になる。
岩田さんが院長になったことは、僕の中でも大きなきっかけとなった。
そして、 それと同じくらい大きな試練が僕を待ち構えていた。
【52】新しい院長
僕は
この院は
一体どうなってしまうのだろう。
院長との会話の後、そんな不安を抱えたまま過ごしていたある日、僕は岩田さんから話しかけられた。とうとう院長から話を聞いたのだろう、ご飯に誘ってくれた。断る理由もないので行かせてもらうことにした。
自分で言うのもなんだが、僕は基本的に人間の好き嫌いはあまり無い。ただ、人がどう思っているかを察する能力は未熟だった。
当時の自分は、その時のベストパフォーマンスを出せるなら、人にどう思われようがかまわないと思っていた。そんな自分からすると、岩田さんの気持ちが分からず、不思議で仕方がなかった。岩田さんは、すごく心配症というか
嫌な気にさせていたらごめんね。
もう帰りたいとか思った?
今の話面白くない?
と、会話の中で頻繁に確認を入れることが多かった。気を使わず言ってほしいと言われ、その通り本音で話すと、なぜか不機嫌になる。
最初は難しい人だなという印象だった。でも、こうして人に気を使えることも、自分に必要な能力だと今なら思える。
組織やチームの上に立つには管理能力が必要となる。自分の業績を残すことも大事なことだが、それだと組織やチームのエースと言われるだけだ。やはりキャプテンシーを高く発揮して、マネジメント力を使って全体の業績を伸ばせるようにならなくてはいけない。
岩田さんは、正直うちに来るまでも、来てからもエースではなかったが、勤務年数とキャリアで院長になったのだろうと思った。
岩田さんとは、週に2回はご飯に行くようになった。初日に「食事代は割り勘」と決めたので気は楽だった。 岩田さんはお酒を少々飲む程度で、様々な先輩に鍛えられた僕からすると、毎回いい具合の食事会だった。
結婚もされていてお子さんもいるみたいだから、解散する時間もあまり遅くもならない程度だったし。(お小遣い制だというのも聞いていたので、独身の僕が多く出しますよ、と言ったら「それはだめだ」ということ。きっちりしている。)
奥さんに、僕とご飯に行きすぎだとお小遣いがもらえなくなると、決まって院でコーヒーを飲みながら話し合った。いや、話し合いというより、岩田さんの「せっかく院長になったんだから、給与を上げたい」という希望を叶えるための作戦を、僕が聞いて意見を言うという作業だ。
岩田さんから、遠慮なく思ったことを言ってくれと言われたので、最初の数ヶ月は失礼を覚悟で言いまくった。時に理不尽に怒ってくるので、呆れて帰ろうとしたら頭を下げて謝ってくる。その繰り返しだ。
スピード感のある謝罪に何度騙されただろうか…。
でも、本当に昇給に一生懸命だった。
うちの会社は売上と利益に対してインセンティブがある。
しかし、引き継ぎ院長の場合、インセンティブがつくのは着任後、3ヶ月連続で売り上げを5%以上アップさせた時、もしくは6ヶ月連続±3%以上を維持できれば、12ヶ月後に自動的につくという制度だ。
頑張れば早く給料が上がるということで、岩田さんは気合が入っていたんだと思う。患者さんにも、僕以外のスタッフにも本当に一生懸命だった。
なぜか僕の扱いは雑だったが(笑)
【53】一時の好調、一抹の不穏
岩田さんは、技術レベルは高いのだが施術に入りたがらなかった。
理由も明確で、「患者さん全員と話がしたい」ということだった。だから、ベッドメイキングから患者さんをベッドへの誘導、電気施術のつけ外しまで、新人がやる仕事をすべて岩田さんがやっていた。
他のスタッフから「施術に入らずに楽をしている」という意見も上がってきたが、僕はそれを真っ向から否定した。それを見られていたのか、翌日の朝、岩田さんに珍しくお礼を言われた。こんな時のために、僕とコミュニケーションをとっていたんだと、嬉しそうにしていた。
お礼に次のご飯は奢るといってくれた。結構ちゃんと周りを見ている人なんだ、と感心したのもつかの間、結局次のご飯は割り勘だったので、やっぱり呆れた。
僕との約束はことごとく守らない人だった。
施術者が施術に入らない、となると多くの人はサボっているよう思うが、岩田さんはどちらかというと逆だったと思う。あれだけ動いて、予約やクロージングのフォローもしてくれていたので、こちらは伸び伸びと仕事ができていた。確かに、忙しい時は施術に入ってほしいと思ったが、比較的バランスが取れていたと当時の僕は思っていた。
院長と岩田さんが入れ替わるときに、院長から
「岩田さんと一緒に院を伸ばす戦略は考えてあるが、これにはお前の協力が必要不可欠だ。もし腹が立って我慢ができないときは、俺が息抜きするから遠慮なく連絡してこい。」
と言われていたが、今のところは大丈夫そうだと思った。
自分にとって不利な状況や理不尽な環境、不合理な意見も学生時代の部活動で乗り越えてきた経験があるので、メンタルは強い方だった。
あの時は我慢することしかできなかったが、今は違う。
岩田さんのマイナスな感情や言葉に、プラスでぶつかっていって良い結果がでる時もあれば、あえてマイナスで受け止めると岩田さんからプラスの意見が返って来る時もあった。
岩田さんが院長になった初月には、歴代最高の売り上げを記録し、グループ全体を驚かせた。翌月になると、他の院からスタッフが研修に来たり、幹部がお客様を連れてきたりと、うちの院がフラッグシップとなって成長ができる環境が整っていった。
しかし、
院長が交代して1ヶ月経ったころ、何やら先輩スタッフ数名の様子がおかしくなっていることに気づいた。
岩田さんに報告してもあまりピンと来ていない。
そんな違和感を感じているとき、先輩の一人である西山さんと休憩時間にご飯に行くことになった。
西山さんとは田島さんと比べるとあまり親しいとは言えなかったが、手技の勉強会等で一緒になることは多かった。個人的にはすごくフィーリングの合う気はしていた。
西山さんはご飯を食べながら、岩田さんのことについて話してきた。
そこで先輩スタッフたちが何を考えているのかを聞き、頭を抱えることになるとは思ってもみなかった・・・。
(注)このコラムは、実話に基づいた作品です。個人情報保護のため、登場する人物・団体名、設定等は一部変更しています。
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